大阪粉もん文化の由来~真田丸ブームの大阪城も関係!?~

「粉もん文化大阪」には真田丸ブームの「大阪城」も関係?

大阪と言えば粉もん文化発祥の地と言われますが、聞くところによると大阪人は「アレンジが大好き」「安く」「早く」「味にうるさい」などと言われ、「せっかち」「派手」な印象があります。実はこの背景には真田丸で一躍有名になった「大坂城」とも関係があるようです。

① 商人の町であった

“大坂城”周辺には数多く大名の蔵が存在し、水運の要所であった大坂は商業が盛んでした。これにより商人が増え、色んな地域から人が入りこみ、その人に対応するために適応力(アレンジ力)が身に付いたようです。また、商人は時間にせっかちだったので、

 「安くて、早くて、うまいもん」が必要となりました。

② ソースメーカーが盛ん

明治時代以降、大阪では多くの企業がウスターソースを製造し、ソースの本場英国の技術指導を受けるなどしながら、発展していきました。
現在でも数多くの地場ソースメーカーが存在しています。

③ 鉄板粉もんの祖、千利休

“大坂城”を築いた豊臣秀吉に仕えていた千利休が、お茶の席で出したお茶菓子の中に、小麦粉を水で溶いて焼いた「フノヤキ(麩の焼き)」というものがあったそうです。当時の人々には、珍しい食感で、きっとウケていたでしょう。これが現在の大阪名物お好み焼につながっていると考えると、ロマンがありますね。
(出典:「粉もん」庶民の食文化 朝日新聞出版)

このような歴史が、今日のなにわの粉もん文化の発展に結びついているのかもしれません。




ちなみに当社でも・・・

①ヤマダイ大阪の商人が(大阪営業部長、コテコテの関西人)     ②大阪地場のソースメーカー大黒屋ソースを使い     ③粉もんの王道、焼きそばを開発




「普通の焼そばやない、串カツソースの焼きそばやで」


是非ご賞味ください!